雨粒の音、夕焼けの色、水面の揺らぎ。そして満天の星空。
忘れたくない景色の中に生きる、佐倉くんと花森さんの姿をずっと思い返している。
映画『時給三〇〇円の死神』の感想です。
(以下、映画本編・パンフレット・原作小説の全てに触れた感想を記しますので、閲覧ご配慮ください〜。)
映画館で観た記憶の温もりを忘れたくなくて、感じたことの全部を、取り止めのない形でも、なんとか覚えておきたくて、ここを開いています。
"時給三〇〇円"にさえも縋り付きたい今を生きている人が、死神のアルバイトを通して、死者を救う。救っているようで、死神自身も救われている、という話。
「佐倉くんと花森さんは似てると思う。」
朝月さんは言った。
映画の冒頭に繋がるプロローグとして、佐倉くんと出会うまでの花森さんの心境を綴っているのが主題歌の「心海」。
(映画の結末を知ってから改めて触れるMVは、鑑賞後に観たもの感じたものの奥行きをまた一段と広げてくれる感覚がして、凄まじい余韻体験だったーー!)
雨の日もズブ濡れで 嵐の日は過ぎ去るのを待って 選ぶ自由なんて此処にはないけど
佐倉くん家にあるのは壊れたビニール傘。傘を指すとか買うとか、そういう自分でどうにかできる選択肢すらあの日の彼には無かった。そのことが示す、二人の境遇の共通点。寒い。冷たい。
ロスタイムが始まったとき、死者自身も自分の未練が何なのか、分からないらしい。
雨野おじちゃんは夕ちゃんのことを、「今でこそこんなに明るいけど、最初は手を付けられなかった」と言った。
その言葉にどうしたってあの日水色のレインコートを着て跳ねるように水溜りを踏んだ少女の姿を重ねて、運命の記憶を持ったまま天真爛漫な花森さんに至るまでの日々のことを想ってしまう。
ずっと孤独に、自分の運命にひたすら向き合おうとすることをやってきた花森さん。受け入れ、諦めるために、ロスタイムの方が長くなった人生を生きてきた花森さん。消えてしまう人生をずっと生きてきた花森さん。花森さんはきっとずっと独りで、自分の人生には"無かったもの"と向き合って生きてきたんだろうな。きっとそんなの苦しいから、止めたいから。
だけど私 幸せになることを諦めたくない
愛を知らず 生きてきたから
愛を知り 誰かに伝えるまで
生きる意味を知るまで
生きていたい まだ
ダァーーーーーこれが、これが花森さんの未練…………て。生まれてきた、生きてきた自分を救うため、ロスタイムを"生きる"と表すことのやり切れなさはありながら、諦めないでいてくれてありがとうと、綺麗事を信じていたいわたしは思った。
さて、そんなことはつゆ知らずな佐倉くん。我が子を産んだことが後悔だと語る広岡さんに、どこか自身の母親を重ねて、「それでも僕は、生まれてきて良かったと思っています。」と言い切った佐倉くん。その姿は花森さんの目にどう映ったんだろうか。
似ている二人だけど、花森さんには無くて佐倉くんにはあったもの、思い出なんだよな。自分で歩んでこれた時間、なのかなーーても思った。
佐倉くんには思い出がある。広岡さんに「本当に(自分の人生)嘘だけだったんですか?」と投げかけられてしまう、それはそれで確かなものだったと信じたいと思える家族との時間があった。写真立ての中には家族三人で過ごしてきた人生の節目がちゃんと収められていて、食べることも相当好きそうだったけどそれより好きだと思える("三度の飯より好きサッカーが好き!"by写真)サッカーを通して得たたくさん出会いや経験がきっとあった。はず。
一方、花森さんの家に飾られるている写真はお父さんの遺影。それが切なくも幼き雪希ちゃんと一緒に写ったものであること、そしてお母さんの左手に今も尚光っている指輪の存在が、確かに在った家族を今に残しているものなのかもしれない。あぁ〜〜花森さん、花森さん。
部室の中で手帳を探す佐倉くんと朝月さんの会話に外から耳を傾けている花森さんの表情が印象的で。二人の明日に心寄せているようにも見えて、誰かと同じ思い出があること、一緒に懐かしんで振り返れる時間があることへの眩しさなんかも感じたりした。
笑い合える それさえも疎ましい
よね。
わずかでもお金を稼ぐことを目的に始めた佐倉くんのアルバイトも、いつしか思い出を忘れないため、に続ける動機が変わっていく。忘れたくない。
死ぬのは怖くない。でも死んだらどこへ行くんだろう?考えたことあるけど分かんない、佐倉くんも言う。誰かが星を見上げて、自分のことを思いながら手を合わせてくれて、弔いを捧げてくれるといいよね。忘れられたくない。リメンバーミーのことを思い出したりした。
二人で温かいカップラーメンを啜りながら、星空を見上げる。切なくも時間を止められるようになってしまった花森さんが、夢みたいだと思える、このまま時間が止まればいいのにと願える時間を誰かと過ごせている。
楽しかった!佐倉くんの隣は幸せだった!と思えたこと。生まれてきた意味を見出そうとして、同時に諦めを受け入れたこと。
二人の間に芽生えたのが異性愛だ!としなくても、
「俺知りたいんだ、花森のこと。」
と自分に矢印を向けてくれる人、佐倉くんと出会って初めて知った、ひとと築く温もりのある愛…だったのかな。
それでもやっぱり、次はもう人間はいいかな〜と呟く花森さん一言に、彼女が生きてきた人生が詰まってる。半年、そして一週間を「花森を全力で幸せにする。」の原動力で一緒に過ごしてきた佐倉くんが、その言葉を受け止める表情には、切なさとやり切れなさとでもいくらでも納得できているであろう彼の想像力が滲んでた。
「忘れてもいいけど、覚えててね。」
「誰かの人生に、思い切り降り注いでみたい。」
いつだって花森さんのこのセリフがトリガーとなり、グッと込み上げるものがあった。どうしようもないことを受け入れて、今目の前にある幸せを見つめて生きていくこと。忘れたくない瞬間や経験の積み重ねが、その人を無意識に形作っていくのかな。二人が少年に託した希望に、そんなことを教えてもらった気持ちです。
花森さんは水色が好きなのかな。彼女の好きな雨の日、きっとお気に入りであろう水色のレインコート着て、弾むように水溜りを跳ねる。
ラストシーンの交差点は眩しいくらいの青空で、佐倉くんが好きな晴れの日に、泡沫の雪が思いっ切り降り注いでいること。雨に降られて俯いていた佐倉くんが、空を見上げて涙していること。生きた証を残したかった花森さんとの半年が佐倉くんの人生を大きく動かした記憶だったことの証明みたいで、ずっと憶えていたい、とっても大好きなシーンだった。

佐倉くんが見せてくれる様々な表情には初めて出会う大吾くんがいて。それでもこのラストシーンに掛けて大吾くんから瑞々しく溢れ出す感情を見ていたら、活男が角を曲がっていく表情とか模範囚のニシハタの涙の湿度とか寒空を見上げる鎌田の横顔とかみんなのことが思い出されてしまったりして。ボートの上の佐倉くん、横断歩道を掻き分けて走る佐倉くんの姿は、そんな走馬灯シーンにきっと追加されたと思う。
酒井監督はじめ莉子ちゃんとのご縁にある温かさは大吾くんがなにわ男子として歩んできた日々があってこそのもので。小澤さんに「大吾」と呼ばれる温かさは過去作たちで紡いできたご縁あってこそのもので。スクリーンの中で佐倉くんを生きる大吾くんにまた初めての表情を見せてもらえている嬉しさがどうしたって込み上げてきてしまうと共に、大吾くんのキャリアが全部このスクリーンに繋がってるんだよーーーーーと勝手にこちらが想像する犠牲や葛藤も全部報われて欲しく思ってしまう烏滸がましさみたいなのもあったりした。
ここ数ヶ月に起きたことを自分なりに受け止めながら、自分がアイドルに向ける眼差しを整理してきた夏だった。本当にアイドルとして生きるのが大変な時代だろうな、とも思う。
少なからず犠牲を強いてしまっていたことを自覚してショックを受けたりもしたけど、恩とかいう類の原動力を除いて、板の上で得られるものと削られるものを清算したときに、どうか収支プラスの状態でアイドルという職、表現者としての人生を全うしてくれていたら良いなぁというのは最早祈りに近い気持ちです。いつでも大吾くんの幸せと成功を祈っているんだよ〜。(突然重たくなってきた)
ひとまず何よりデビュー5周年のこの時に、大吾くんのお芝居を瑞々しく映してくれる作品に銀幕で出会えたことが嬉しくて!!!!!!!ずっとちょっと悔しかった気持ちも、今目の前にあるデッカい幸せの気持ちも、全部大事に噛み締めて、景色を記憶に残したい!!!!!!!祭り、やれます、やらせてください!!!!!!!という勢いだけで生きていた秋でした。(まだ終わらせないけど!)あ〜〜楽しかった。貯めまくった鑑賞ポイントをどう使っていくかも考えるだけでワクワク!
天ぷらのぷらってプラスチック?んなわけ〜〜て思って調べたら、ポルトガル語が由来……テンポ〜〜ラ!あーあ、また一つ賢くなってしまったよ。今日が最後になっても後悔のないように大切にやり切りましたが、また絶対に大吾くんのお芝居が観たい。その日まで元気に生きます。
PS.天野はなちゃんのご活躍嬉しいね、雲雀先生!!!!!!!さぁ、大吾くんにラブコメ懇願寺建立!!!!!!!




